久々にウィーン交響楽団を聴きに楽友協会へ。
旅行でウィーンを訪れていた頃は、いろいろコンサートに出かけたけど、
こちらに住むようになってからは、歌劇場以外の公演に行く余裕はほとんどなくなり。
ウィーンフィルジルベスターコンサート以来、ほぼ4ヶ月ぶり…。
指揮はフィリップヨルダン。
前半のブラームスピアノコンチェルトがつまらなくて、途中で帰りたくなったのだけど、
後半の「火の鳥」でオケが別人のように化けた!!
あんな名演、爆演は、なかなか聴けるものじゃない。
冒頭から凄い集中力だったけど、「カスチェイの手下の踊り」の辺りから、
明らかに何かが降り注いでいた。取り憑いていた。
身も心も委ねながら、音楽って一体なんだろう、と考えた。
ここまで人を魅了し、それでいてとてもプリミティブなもの。
きっと、音楽は「エネルギー」そのものなんだと思う。
大きな魚になって、悠々と海の中を泳いでいる。
曲を聴きながら、そんな感覚に陥った。
「火の鳥」を聴きながら、海の中にいるというのも何か可笑しいけれど、
太陽の光が注ぎ込んで、水がキラキラ輝いている様だとか、
刻々と変わる青の色合いだとか、
背びれ、尾ひれを巧みに使いながら、水をきる心地よさだとか、
とてもとても豊かで不思議な感覚を味わった。
魚である自分が誇らしくて、全てが眩しくて。
そして、それは生命讃歌に思えた。
「火の鳥」は生命讃歌なのかもしれない。
生きとし生けるすべてのものへの讃歌。大きなエネルギー。
すごいね、音楽って。芸術ってすごいね。
日常的に、ウィーン国立歌劇場管弦楽団を聴き、共に演奏し、日々育てられている私だけれど、
このような奇跡が起こることって、滅多にない。
(前日は「薔薇の騎士」を観たのだけど、つまらなくて途中で帰ったし…)
でも。奇跡は偶然に生まれるものではない。
真摯に向き合ってこそ、生まれるのだと思う。
なぜなら、やっぱりそこに「エネルギー」が発生しているから。
エネルギーをかけたものからしか返ってこない。
これは真実だと思う。
今日の演奏を忘れず、魚になって海を泳いだあの感覚を忘れず、
大きなエネルギーを生命讃歌を奏でられる人間になりたいと思う。
真摯に。真摯に。
火の鳥、もう一度全曲弾きたいな。
いつかウィーンバレエでも、火の鳥が上演されることを願いつつ。