モーツァルトピアノ協奏曲を弾く

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私が幼い頃から一番好きだったピアノ協奏曲が、世にも美しいバレエ作品になり。客席で何度も観た作品。その作品を演奏する幸を頂きました。今夜、国立歌劇場のヌレエフガラで、マニュエル・ルグリとイザベル・ゲランが踊る「ルパルク」を弾きます。5月の最初に、監督にこのお話を頂いて、以来、ル・パルクを弾くということが、小さな宝石のように私の心の中に在りました。

モーツァルトがこの曲を作曲したウィーンで、このオーケストラで、モーツァルトを弾けるなんて、ミラクルのような出来事だと思っています。ボスの踊る舞台で弾くのも初めてです。

モーツァルトのアダージョは、一音一音、嘘がつけない。カッコつけることもできない。ただ、この少ない音数、美しいメロディと和声に、素の自分、裸の自分が表れてしまう。何かを表現しようとして計算するのではなく、そぎ落とす。シンプルで正直な心の機微、音色を表現する。そんな演奏ができたら、と思います。

それでは、いってまいります。

 

 

読売新聞インタビュー記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日常に追われ、バタバタしているうちに、大切なことを書きそびれていました。先月10月6日付の読売新聞全国版夕刊にインタビュー記事を載せて頂いたのです。二年ほど前にも読売新聞に記事を書いて頂いたことがあるのですが、このような大きなインタビュー記事は初めてです。読んで頂けると嬉しいです。

なお、インターネットサイト、YOMIURI ONLINE の「大手小町」というコーナーにも全文記載して頂いているので、写真が見づらい場合は、こちらを見てみてくださいね。↓

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/special/feature/CO006040/20151006-OYT8T50129.html

 

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素敵な記事を書いて頂いた岡部さま、加藤さま、どうもありがとうございました。

覚悟を決めるということ

年に一度くらい、どうしようもなく、自分のピアノに自信がもてなくなって、もがく時期がくる。人生プラスもマイナスも同じだけあるのだろうけれど、思いつめた私は、「自信 」について考察してみることにした。自信って、字のごとく、自分を信じることから生まれるのだろうか。私の場合、仕事に真っ向から向き合って、とことんやり切った!と思えて初めて自信を持てる。でも、やっと得た自信はあっという間に消え失せる。あの演目は完璧にやりきったはずなのに、またも迷宮に迷い込んで道を見失う。その繰り返し。何年たっても、この点において成長していないように思う私は、自分を信じることにも向き合ってみるべきなのかも。

ウィーンに来たばかりの頃、初めてオケピに入ることが決まって、その演目に小さなピアノソロがあることを気に病んだ私は、一ヶ月以上前からドキドキしていた。オケ奏者にそんな話をしたら、「大丈夫だよ。平気なフリをするのも大事だよ。周りを不安にさせないことも仕事のうちなんだよね 」と笑顔で言ってもらった。これ即ち、同じ土俵で演奏している限り、自分に自信を持つということは、義務であり、相手への礼儀なのかもしれない。自信がないということは、私は中途半端です、というプレゼンテーションをしているようなものだから、真剣勝負している周りの人に失礼だ。

今まで、自信を持たずに本番で演奏したことはない気がするけれど、稽古ピアニストたるもの、普段の稽古も本番の一種なのである。私はそのリハで暗中模索のことが多く、我ながら途方に暮れてしまう。バレエの伴奏はアンサンブルでもあるので、その時の空気、互いの調子などが影響することが大いにある。もしかしたら正解はないのかもしれない。だけど、互いに影響しあうからこそ、呼吸や自意識のコントロール、相手へ気持ちを向けるとか、そういうことが大事なのかな。

そんなことを毎日考えているうち、ふと思いあたったのです。自信の有無って、覚悟の問題かもしれないかな、と。本番では生まれる「覚悟 」を、毎日持ち続けて真剣勝負することが大事なのかもしれないな、と。覚悟を決めるってものすごいこと。ふわっと生きていたらできないこと。それを毎日持ち続ける。毎日覚悟を決める人生を生きる、という覚悟を決める。覚悟を決める、険しい道だからこそ、絶景も味わえるのでしょうかね。

 

 

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