山小屋で知った孤独、そして世界の美しさ

チロルに来て4日がたち。すっかり魅了されてしまった私は、「ウィーンに帰りたくない、このままチロルにいたい」なんてぼやくまでになっていたのですが。「私が求めているものはこれじゃない」という矛盾した気持ちが涌いてくるのも感じていました。チロル初日の記事にも書いたように、私は一人旅の時は、その利便性や精神的リラックス、旅の特別感を追求する為に、なるべくプール、スパつきの五つ星ホテル(良心的な価格の!笑)に泊るのですが、チロルの大自然に触れてみると、リゾートホテルに泊る自分に違和感を覚えたのです。リゾートホテルってどんなに素敵でも資本主義をひきずっている。むしろ資本主義の王道のようなものだろう。私の好きなハイジはこんなところにいないよね…ハイジのような山小屋のようなところに泊って、もっと自然と一体化したい。そう思った私はその日、キッツビュールを離れて、もう少し田舎に行ってみることにしたのです。オーストリアの鉄道は目的地への切符なしに乗れない(車中で払ったり後払いができない)ので、切符券売機の行き先ボタンをカンで押して、電車に乗り込みました。


キッツビュールから少しいったところにある、Schwarzsee


そしてほどなくして着いたのが、ここ。キルヒベルク・イン・チロル。
なぜここへの切符を買ったのかは分からないけど、ここならハイジがいそうな気がする!

まずは宿を探さなくちゃ。この丘をひたすら登ります。この丘がものすごく急で…ブーツにスカート、カシミアのニットという場違いな出で立ちだった私はもう汗だくで疲れ果て。。楽しいというよりかは、私はここで何をしているんだろう、という思いにかられました。いくつかペンションらしき建物があったのですが、そのうち、山小屋らしい風情を醸し出している一軒のインターホンを押してみました。「今夜、泊めてもらえませんか?」と訪ねると、朝食込みで40ユーロでよければどうぞ、とおっしゃってくださって、私はそこに泊らせて頂くことにしました。


宿からの眺め。嗚呼、アルプス。


こちらのお宿は晩ご飯は出していないということで、
水とパンだけ買っていた私は、お部屋で食べながら、空を見たり。

暗く小さな部屋に小さなベッド…、ひとりぼっちで安宿というシチュエーションは味わったこともなく。
私はここで何をしているのと、心細くて、気持ちが折れてしまいそうでした。


そんな時、外にでると、小鳥のさえずり、アルプスに響き渡る教会の鐘の音があまりにも美しくて。
きっと、孤独と不安で心が折れてしまいそうにセンシティブだったからこそ、沁みたのだと思います。
私は、安定や幸せと引き換えに、美しい何かに出逢う。そんな人生を自分で選んでいるのかも。


何もすることがない、ぽっかりと空いたような時間を、五感で味わいながら過ごしました。

「夜がくるのが怖い」と思ったのはどれくらいぶりだろう。
暗くて狭い部屋の、小さくて硬いベッドに寝ることは、私にとっては高いハードルでした。
夜中に虫がでてきたり!…でも、そんな経験もすべて、素晴らしい宝物のように思います。


そんなこんなで、アルプスの酸いも甘いも味わって(?)気が済んだ私は、
ようやく、ウィーンに帰ろう!と思えたのです。
写真はこの街の教会の窓。
オーストリアはどの街にも街の真ん中に教会があって、住人を見守っているのですね。

私は、「旅行」という言葉を基本的に使いません。いつも「旅」と言います。それは自分のなかの感覚なのですが、「旅行」は娯楽の個性が強くて、楽しむもの、という前提があるような気がするのです。でも私にとっての旅は、未知との出逢い、はたまた自分への挑戦、そのようなものだと思っていて、それには楽しいだけじゃなく、つらいことも不安なこともついてきます。「旅」という言葉がしっくりくると思うのです。人生も即興演奏も同じかもしれません。すべてを引き受けて、自分に挑戦する、そんな「旅」を続けていきたいと思います。