生きるということ 死ぬということ

書き残しておきたいことがあります。
去る6月、シーズン最後を飾る公演、ヌレエフガラがありました。
私はその公演で、オケピに入ってソロを弾くという大役を頂き、
公演の随分前から準備してきました。
ヌレエフガラを翌日に控えた日、
突然、私のもとに訃報がとびこんできました。日本にいる友人が交通事故で亡くなったのです。
悲しくてうろたえて何もできなくなって…教会に行ってろうそくに火を灯し、静かな長い時間を過ごしました。ヨーロッパに住んでいてありがたいと思うことは、街なかに一人で泣ける場所があること…
眠れぬ夜を過ごしました。

 
ヌレエフガラ当日、心身ともにどん底。
朝10時から、ゲネラルプローベが始まりました。
気持ちを切り替えて、自分の仕事を果たさねば。
ストラヴィンスキーを弾き、プロコフィエフを弾き。
そして、ローランプティ振付「若者の死」。
一人の若者が死神に魅入られ、苦悩の果てに死に向かっていくバレエ。
曲はバッハのパッサカリア。バッハの音楽は祈りの音楽なのだと、この時はっきりと感じたのです。
生と死の狭間で揺れ動くこの作品とその音楽が、心を大きく揺さぶりました。
私は、天国の友人に音楽を届けたい、と強く思ったのです。

 
夜になり、幕があがりました。
満席の客席とステージの熱気のなか、プログラムは進んでいきます。
そして、R.シュトラウスの「最後の4つの歌」。
全曲死を詠ったこの曲集の3曲目「眠りにつくとき」。
祈りのような音に身を委ねながらチェレスタを弾いていて、
歌詞に耳を澄ませたら、涙がとまらなくなりました。
『私のすべての感覚が 今は眠りに沈むことを望んでいる
そして解き放たれた魂は 自由に飛び回りたがっている
夜の魔法の世界の中へ 深くそして千倍生きるために』
へルマンヘッセ
あまりにも美しく、あまりにも優しいこの歌。
一緒に演奏しているのは、尊敬するオーケストラの方々で、
私の大好きなコンマスのライナーホーネック氏による、間奏のヴァイオリンソロは、
どこまでも優しくて愛に満ちていて。それは、浄化でした。
その時の涙は友人が天に召された悲しみによるものではなく、浄化の涙でした。
音楽に、舞台に、こんなにも救われたことが今まであったでしょうか。
この曲を弾き終え、私は心に力を取り戻していました。
「いつかウィーンに聴きにいきたいよ」と言っていた友人のためにも、
私は音楽を届けよう、と。
そして、私の大仕事、くるみわり人形の金平糖のチェレスタソロの時がやってきて。
弦のピツィカートの前奏を聞きながら、高鳴る心臓の音。ドキドキドキドキ。
ああ、私はなんて心が弱いのだろう。友人に音楽を捧げたい、とか思っていたのはどこへやら。
実際自分のソロになると緊張して、友人どころじゃなくなっていたのだ。
数小節弾き始め、緊張のあまり、息もうまく吸えない。
その時、、、ふと前をみると、
チェレスタの前にある、ピアノの椅子に友人が座っているのを感じたのです。
ピアノの椅子に腰掛けて、チェレスタの方に振り向きながら、友人は私にこう笑いかけました。
「へへへ、やっと聴きにこれたよ」
!!!
姿は見えないけど、気配と気持ちが伝わって来たのです。
こんなこと初めて。
私は、とても幸せな気持ちになって、落ち着いて弾くことができたのです。
その時から、悲しみは消えました。消えたというと語弊があるかもしれないけれど、
彼の魂は生きているということを知ったのです。
近くにいても離れていても、会わなくても、生きていても死んでいても、心はそばにいられる。
自分の心のなかで大事な人は生きている。
だから、きっと死は怖いものではない。
思えば、彼とはそんなことを話したことがありました。
獣医師だった彼が、産まれたばかりのちっちゃな子猫の写真をFacebookにあげた時。
同時に、老いた猫が死んでしまったらしく、
「生まれ変わりみたいで、生きたり、死んだりって不思議だね。」とつぶやいていた。
以下、私と友人のやりとりを記しておきたい。
私「質問。死って悲しいもの?命あるものは、必ず死があるわけで。私はまだ親しい命の死に面したことがなくて、それを想像すると怖いのだけれど。もしかすると、死は悲しむべきものではないのかもしれない、と思ったりもして。」
友人「それ難しいし、死と向かい合うこと、他の人より多いので、いろいろ考えて病むw事もあるけど、死は100%だけど生は何億分の1だからね。生まれてすぐ亡くなったとしても、死ぬと言うことは生まれた事実があるわけで、悲しいことでは無いと思っている。」
「叔父が亡くなった時、遺品の服とかジャケットとか古くさくて、ダサいんだけど、貰ってね、今でもたまに着てでかけるの。で、その人の生きた事は忘れないから、死は悲しくないよ。」
死は悲しくない。そう言っていた。二回も言っていた。
本当だね。
Tぽん、あの時、私を助けてくれてありがとう。
ウィーンに聴きにきてくれてありがとう。
大切なことを教えてくれてありがとう。
気持ちは通じてるね。ずっと。
またみんなで旅行しよう。
あの時、Facebookで最後に言ってくれたのが、この言葉。
「しののん。もう一つ。
Yesterday is history, Tomorrow is mystery, and Today is a gift.
That is why we call it present. 今日は贈り物だよ。楽しく行こう!」
今を生きよう!
リヒャルトシュトラウス「4つの最後の歌」から、「眠りにつくとき」

拝啓 J.S.Bach様

ライプツィヒ旅日記の続きです。
ライプツィヒといえば、J.S.Bach様の聖地。音楽を志す者の聖地。
来年、バッハを弾く本番を控えている私としては、どうしても、今、訪れておきたかった。
バッハにご挨拶しておきたかった。
バッハが長い間勤めていた、トーマス教会。
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ここで、たくさんの曲が生まれました。
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今回は二日間とも、このトーマス教会で礼拝に参加し、バッハを聴くことができました。
トーマス教会付属少年合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団メンバーによる演奏。
これは、、なんとスペシャルな音楽体験だったでしょうか。
私の両親が以前、英国オックスフォードに住んでいて、
私も一ヶ月滞在して、英国の教会合唱文化に浸ったことがありました。
ウィーンに住んでいるから、ウィーン少年合唱団も知っています。
だけど、トマーナーは、本当に繊細でピュアで特別な何かを持っていました。
これが、バッハの聖地で彼が手塩にかけて育て、遺した財産なのでしょうか。
合唱団の今の音楽監督が実験的な試みもする方らしく、おもしろい合唱曲も聴くことができました。気に入ったのは、マルティンルターが1529年に遺したグレゴリア聖歌のようなメロディーを合唱に編曲したもの。とても美しく、独創的な曲に蘇っていました。オルガン演奏も素晴らしかったです。
こうして、ライプツィヒでは、古いものが守られ、新しいものが常に創造されていっているのです。きっとバッハが生きていた日常と同じように。豊かに脈々と受け継がれる文化。
粛々と、お墓参りを。
バッハのお墓は、このトーマス教会の中にあります。
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少しの言葉を交わして
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トーマス教会の向かいにある、バッハ博物館へ。
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バッハが弾いていたオルガン。
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こちらは、なんと、2005年に発見された、バッハの曲。
とても美しい曲でした。こんな曲が数百年も眠っていたなんて。
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バッハの家系は、そのほとんどが音楽家。
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ところかわり、こちらはバッハのもうひとつの勤務先、ニコライ教会。

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教会内のバッハ像

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パイプオルガン

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ちなみに、ニコライ教会は、東西ドイツ統一運動が始まった場所なのだそう。
最後に、バッハと記念撮影を。
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バッハを訪ね、彼の遺した音楽遺産に直に触れ、感じることができたこの旅はきっと、きたる本番、そして今後の人生の大きな糧になることと思います。
おまけ。
ライプツィヒみやげに、バッハのパルティータが描かれたエコバッグとスパークリングワインを。

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来年、無事にバッハの本番が終わったら、開けるつもり。今から楽しみです。

晩秋のライプツィヒへ

週末を利用して、晩秋のドイツ、ライプツィヒに出かけてきました。
ライプツィヒには友人が住んでいて、以前から誘ってもらっていたのです。
彼女がこの一年間で三度もウィーンに来てくれていたのに対し、私はこれが初めてのライプツィヒ訪問。
(実は、前の週にもウィーンに来ていて、私の誕生日に二人でミュージカルエリザベートを観たばかり、という蜜月っぷり笑)
朝7時半にライプツィヒに到着して、
友人が作ってくれた朝ご飯を食べてから、公園を散歩。
今年の紅葉はとても美しい。
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さっそく連れて行ってもらったのは、セバスチャンバッハ通り。
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近くには、ベートーヴェン通りも。
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そして、ベートーヴェン通りからほど近い街角で、滝廉太郎氏にお会いしました。
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ここは、シューマンと妻のクララが出逢った街角、だそうです。
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メンデルスゾーン像。
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ところで、ライプツィヒは実はお買い物天国(笑)
旧東ドイツは割とどこもそうなのですが、壁崩壊以来、近代化が進み、
新しいものと古いものが、混沌と共存しています。
それが旧東らしさであり、街の魅力にもなっているかと。
旧ハプスブルク帝国の首都ウィーンよりも、ずっとイケてるデパート群。羨ましい!
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クリスマスの華やぎの準備が進む街の屋台で、友人おすすめのお菓子を。
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美味しい!!
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ゲヴァントハウス。
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私の母いわく、ゲヴァントハウス管弦楽団は、世界一美しい響きを持つオーケストラだそう。
今回はタイミングが合わず、ここでの演奏会を聴くことができなかったので、
次回のお楽しみにとっておこう。
そして、ゲヴァントハウス内のミシュラン1つ星レストランで、贅沢ディナー。
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このお料理、ゴージャスな感じではなくて、とても誠実であたたかいお味。
何を頂いてもその印象は変わらない。
料理人の方の人となりが伝わってくるようなそんなお料理。幸せに浸りました。
料理で人をこんなに幸せな気持ちに出来る人、尊敬します。
お土産に、クリスマス名物のシュトーレンも買い、ほくほく気分でおうちに。
友人の家に着いてすぐにバタンキュー!ああ、これぞ旅の醍醐味。あ、いつものことか(笑)
グルメな彼女には、ウィーンでもいろんな美味しいお店に連れていってもらっています。
むしろ、彼女が教えてくれたお店しか知らないほど。どっちが住人?(笑)
ちなみに、彼女はもちろんお料理も上手で、
次の日のお昼に作ってもらった鶏の唐揚げ(私が随分前からリクエストしていました)に、悶絶。
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ああ、大好きな唐揚げ食べたの、どれくらいぶりだろう!
前の晩の星つきディナーの記憶が飛びました(笑)
美味しいものを分かちあえる友がいること。
幸せを分かちあえる友がいること。
本当に幸せですね。感謝。
さて、次は、旅の最大の目的、J.S.Bach様のことを書きます。