ジゼル

先月のことですが、Kバレエカンパニー「ジゼル」公演を観てきました。

昨年、初めてKの「海賊」を観て以来、とても好きなカンパニーだったので、

私の一番好きな演目である「ジゼル」公演を楽しみにしていました。

ジゼル役は、松岡梨絵さん。

真に迫る演技、踊りが素晴らしく、ジゼルの気持ちが痛いほど伝わってきました。

裏切られて死んでしまってもなお、彼のことを嫌いになれないジゼル。

裏切られても恨むことなく、精霊たちから彼を護ろうとするジゼル。

成就することのない恋なのに、踊ることをやめられない二人・・・。

愛と悲しみと互いへのいたわりに満ちたパドドゥは、

最後には昇華され、同時にジゼルの想いも昇華される。

ジゼルを永遠に失ってしまったアルブレヒトは、生涯苦しみ続けることになる、と私は思っていたのですが…。

彼の人生にジゼルが現れ、愛を知ったことで、もしかすると逆に救われるのではないか、

と初めてそんな風に思いました。

(松岡さんの解釈では、ミルタもまた、ジゼルの愛に触れ、初めて救われるのだそうです)

「ジゼル」は悲恋だけれど、深い愛の話なのだと。

いろんな気持ちが胸に押し寄せ、私は客席でボロボロに泣いてしまいました。

その涙は、悲しみでもありましたが、幸せなものでもありました。

深い愛を持ったジゼルの生き様に触れ、私も救われたのかもしれません。

私も、ジゼルのように、愛に満ちた人になりたいです。

音楽とともに

ギリギリのバランス

バレエのセミナー仕事で、またもや地方に来ています。
今宵もダンサーさん達と共に、仕事の後の美味しいお酒を味わい、ホテルに戻ってきて、今、ほろ酔いで日記を書いています。
今日のレッスン中、こんな言葉を聞きました。
世の中には、バランスとアンバランス、均衡と不均衡がある。
そして、「バランスが取れている状態」の中にも、「安定したバランス」と「ギリギリのバランスがある」と。バレエという芸術は「ギリギリのバランス」の上に成り立っている芸術なんだ、と。
ギリギリのバランス。
その言葉が、妙に私の心に響きました。
ギリギリいっぱいのバランス。崖っぷちに咲く花だからこそ、人の心を感動させられるのかもしれません。
私はなんだかいつもギリギリいっぱい、のるかそるかで勝負しているところがあります。
まぁそれなりに疲れるのだけど、この性質が嫌いじゃなかったりします。
安全・安心を保証されるなんて、つまらないじゃない?(笑)
ギリギリのバランス感覚でもって、女人生を生き抜く。
うむうむ。
芸術は人生の縮図であります。
明日も早いので、そろそろ寝ます。
おやすみなさい☆

森下洋子という花

松山バレエ団60周年記念公演「眠れる森の美女」公演を観てきました。
松山バレエ団の公演は、幼い頃に観たきり、実に20年ぶり。
主演オーロラ姫は森下洋子さん。
60歳を迎えようとする今も第一線で活躍しておられる彼女。
実は、直前に足を怪我されて、今日の舞台を無事踊りきれるか綱渡り状態との内部情報を聞きました。オーロラ姫の難しさがわかる分、不安な思いで幕があがるのを待ちました。
しかし、彼女が登場した途端、舞台の空気がガラリと変わりました。
そこには、輝くばかりに美しく可憐な、16歳のオーロラ姫がいました。
誰よりも華奢で小さく、手足が長くて、腕と指の動きが圧倒的に美しくて。
一幕冒頭のローズアダージオ。私は久しぶりに心から感動する踊りに「出逢った」と思いました。そして、ものすごい場所に、時に、居合わせているという感慨に襲われました。
もちろん、今の若手に彼女より素晴らしいテクニックを持った人はたくさんいるでしょう。
でも、真の芸術の価値はそういうものではない筈。
少なくとも私は、いわゆるテクニシャンダンサーを観て感動することはありません。
彼女の踊りからは、宇宙の真理が感じられるのです。
「眠りの森の姫」がこんなに深く、素晴らしいメッセージ性を持ったバレエであることに、彼女のオーロラ姫を観て初めて気づきました。
モーツァルトの、澄み切った青空のごときメロディーの中に哀しみが内包されているように、オーロラ姫の「真・善・美」は、ただ美しいだけのお姫様ではない深みが感じられました。そう、モーツァルトの「魔笛」の世界観にも似ているような…。
実は数日前、彼女の全盛期であろう約30年前の映像を観たのですが、
その時よりも確実に進化していることに、驚きを隠せませんでした。
可憐さはそのままに、表現の深み・幅がどんどん広がり、目に見えない芸術の頂点に到達せんとする洋子さん。
歳をおうごとに、透明になっていく人がいるのですね。
以前、谷川俊太郎さんにお会いした時にも同じことを思いました。
余計な装飾や力みがそぎ落とされ、ただシンプルな魂だけが残るというか、、、
ただ無心に踊る彼女は、羽の生えた天使のごとき存在で、
そのまま天への階段を昇っていくかのように見えるのです。
先月、「存在感は自分の責任」というバレエミストレスの話の日記を書きました。
彼女は森下洋子さんと共に牧阿佐美バレエ団の黄金時代を築いた方。
同じ時代を生き抜き、バレエに身も心も捧げてきた森下洋子さんと大原永子さん。
時を同じくして、全く同じことを私に語りかけてきてくださったのです。
偶然だけれど、これは必然だなと。
実は最近、自分の将来が見えず、目標を見失いつつあったのです。
でも、こんなに素晴らしい60代の芸術家・女性がいらっしゃるということに、
大いに励まされ、希望を与えて頂きました。感謝でいっぱいです。
終演後、バックステージで松山バレエ団から招待客へのご挨拶がありました。
そこでの、清水哲太郎さんのお話も忘れずに胸に留めておこうと思います。
握手して頂いた、森下洋子さんの華奢だけど熱く力強い手の感覚も。
数年前に読んだ彼女の著書に、こんな言葉が記されていたことを記憶しています。
「私は人が1回やってできることを、20回練習しなければできませんでした。でもだからこそ、バレリーナになれたのかもしれません」と。
「芸術に生きる」ということを改めて教わった一日でした。