高校時代の親友が赤ちゃんを産みました。
お祝いを贈ったら、内祝いのお品が届きました。
紫地に、私の名入れがしてある「袱紗」。
さすが、私のことを知り抜いている親友の贈り物に、
心があたたかくなりました
ありがとう、ありがとう。
永く大事にしたいと思います。
それにしても、友人が赤ちゃんを産むというのは、
なんと喜ばしいことでしょうか。
私の大好きな人の分身ができるということだものね
どうか健やかに。
新しい命の幸を、心から祈っています。
ウィーン国立歌劇場バレエ団ピアニスト 滝澤志野
昨夜、Kバレエカンパニー「第九」公演を観てきた。
私は、バレエピアニストの仕事を始めて、10年にもなるというのに、
日本が世界に誇るスター、熊川哲也の舞台を生で観るのはこれが初めてだった。
去年、一昨年と、彼が怪我で降板していた為、なかなか逢いたい人に逢えない状況が続いていたのだ。
「熊川哲也に逢いたい」と呟いた7日後に、急遽幸運が降ってきた
(開演3時間前に、急遽観劇を決めたのに、とても良い席を用意して頂けました。感謝です。)
まず、一部は「シンフォニー・イン・C」
バランシンの作品で、1~4楽章を、それぞれ違うダンサーが主役を務める。
カンパニーの主要ダンサー総出演という感じで、ガラ公演のようであり、とても楽しめた。
とりわけ、3楽章を踊った荒井祐子さんが洗練されていて、とてもエレガントで、印象に残った。
休憩を挟んで、いよいよメインディッシュの「第九」。
第九って本当に名曲だな、と改めて感動させられたし、
歓びに満ちた素晴らしい作品だった。
熊川哲也氏は。
カリスマ的オーラに満ちていて、やはり圧倒的だった。
その輝きは、一朝一夕に身についたものではなく、
多くの栄光と挫折を経てこその煌きなのだろう。
今の日本に、芸術の世界に、彼のような存在がいるというだけで、
私のような小さき身にとっても、心底励まされ、力をもらえた。
先日、F.グルダ氏の作品をコンサートで弾いたのだが、熊川氏もグルダと同じく、
伝統を大切にしながら、常に新しい可能性を求めて挑戦していく芸術家なのだろう。
そういう方は、時代の流れの中、どれだけの孤独をも味わっているだろうと、私は思う。
でも、そんな彼だからこそ、世界はあれほどに彼に熱狂し、祝福するのだろう。
使命を全うするべく、懸命に生きることの尊さを教わった気がした。
たっぷりエネルギーチャージ!
さあ、明日からも頑張ろう!
追記:
一点、森麻季の花の如く美しいソプラノが埋もれてしまい、
あまり聞こえてこなかったことは残念だった。
次に上演する機会があれば、マイク(音響)で調整するか、
立ち居地を変えるか等の工夫を図って頂けたら、と思います。
先月のことですが、Kバレエカンパニー「ジゼル」公演を観てきました。
昨年、初めてKの「海賊」を観て以来、とても好きなカンパニーだったので、
私の一番好きな演目である「ジゼル」公演を楽しみにしていました。
ジゼル役は、松岡梨絵さん。
真に迫る演技、踊りが素晴らしく、ジゼルの気持ちが痛いほど伝わってきました。
裏切られて死んでしまってもなお、彼のことを嫌いになれないジゼル。
裏切られても恨むことなく、精霊たちから彼を護ろうとするジゼル。
成就することのない恋なのに、踊ることをやめられない二人・・・。
愛と悲しみと互いへのいたわりに満ちたパドドゥは、
最後には昇華され、同時にジゼルの想いも昇華される。
ジゼルを永遠に失ってしまったアルブレヒトは、生涯苦しみ続けることになる、と私は思っていたのですが…。
彼の人生にジゼルが現れ、愛を知ったことで、もしかすると逆に救われるのではないか、
と初めてそんな風に思いました。
(松岡さんの解釈では、ミルタもまた、ジゼルの愛に触れ、初めて救われるのだそうです)
「ジゼル」は悲恋だけれど、深い愛の話なのだと。
いろんな気持ちが胸に押し寄せ、私は客席でボロボロに泣いてしまいました。
その涙は、悲しみでもありましたが、幸せなものでもありました。
深い愛を持ったジゼルの生き様に触れ、私も救われたのかもしれません。
私も、ジゼルのように、愛に満ちた人になりたいです。